田代裕彦「先生とわたしのお弁当」

田代裕彦「先生とわたしのお弁当」/富士見L文庫

「先生にお弁当作ってもらってるとか知られるわけにいかない!」親の入院をきっかけに壊滅的な食生活を送ることになってしまった女子高生の笈石ちとせ。そんな彼女を見かねて、学校の先生がお弁当を作ってくれることに。その小匣先生は料理とは縁遠そうな堅物鉄面皮、なのにお弁当は絶品。喜んだのも束の間、ちとせがお弁当を自作したと言ったことが思いがけないトラブルに。さらにある秘密まで掘り起こして―。お弁当箱の中には謎と秘密と愛情が詰まっている。お弁当が紡ぐ青春ミステリー。

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デビュー作「平井骸骨此中二有リ」を読んで以来、久方ぶりの田代先生です。……っつっても平井骸骨の2巻以降入手できておらず、久しぶりにお名前を見たなと思ったので購入したのですが、割とあたりでした。
「ロボで地味で眼鏡の社会科教諭が女子高生に弁当作ってる」っていう設定はかなり美味しいのですが、この話の肝は「先生(教員)に弁当を作ってもらっている女子高生」という設定ではなく、「弁当から起点される謎を解いていく先生(探偵)と女子高生(ワトソン)」という、この二人のやり取りからなされる謎の展開と解決だと個人的に思っています。なんというかだから小匣先生とちとせは「弁当を作ってもらっている縁から恋人になりそうな教員と女子高生の関係を楽しむ」ものでもあるけれど、それ以上に「謎から織りなす、探偵と助手のやりとりの展開を楽しむ」物語かなぁと思っております。
確かにキャラクター文芸の中でも、題材が地味といえば地味。魅力的なキャラクターが沢山いるわけでもありませんし、ミステリでも日常の謎でもない。ただ「弁当」というものから起こる、ちょっとした謎を解いていくだけ。
しかし謎の部分も無理がなく、探偵役の小匣先生の淡々とした口調や若いながらも教師が堂にはいっていてしかも見るところはきちんと見ているというキャラクタは実に気持ちがいい。謎→起点→展開→結論まではしっかり見せてくれるのではないかな。骸骨を一巻読んだ時も思ったけれど、田代先生は女性キャラよりも男性キャラを、それも一風変わった大人の男性を書く方が得意なのではないかな? 

そんなわけで富士見L文庫さん、私は小匣先生が解いていく弁当の謎をもう少し眺めていたいので続編出してくださいお願いします。出してくれたら某アニメイトで買った時、実はページが破れていましたなんて苦情言いませんから。(ビニールに入っていたのに破れていましたのよとほほ)

ついでにKADOKAWAさん、「平井骸骨シリーズ」を復刊してくださると私は泣いて喜びます。

遠田潤子「アンチェルの蝶」

アンチェルの蝶」遠田潤子/光文社文庫

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大阪の港町で居酒屋を経営する藤太の元へ、中学の同級生・秋雄が少女ほづみを連れてきた。奇妙な共同生活の中で次第に心を通わせる二人だったが、藤太には、ほづみの母親・いづみに関する二十五年前の陰惨な記憶があった。少女の来訪をきっかけに、過去と現在の哀しい「真実」が明らかにされていく―。絶望と希望の間で懸命に生きる人間を描く、感動の群像劇。

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先に読んだ月桃夜、雪の鉄樹の2冊とも素晴らしく、他も読みたかったのですが探せどもなかったのでアマゾンで購入。月桃夜のフィエクサが妹に恋い焦がれる兄、雪の鉄樹の雅雪がたらしの家で生まれ育った愚直な庭師で、さてこの物語はと……。最初の30ページだと、いきなりズブロッカを一本開けて飛ばしてくれるアル中予備軍……かと思ったら、

うわあ。うわああ。うわああああ。


いやいや、この方の小説、沼だ。


序盤は説明文の通り、中学の同級生・秋雄が藤太のもとにほづみという女の子と連れてきて「暫く預かってほしい」と言って消えていきます。戸惑い、不器用ながらもほづみと藤太は心を通わせていくが、その間にも、1)秋雄のマンションが全燃、本人行方不明、2)ほづみの父と名乗る男が現れる(こいつが後後のキーパーソンになる)、3)藤太が酔っ払ってグダグダ。ほづみに八つ当たりしては泣かせる→謝る、の無限ループ、4)意外に優しい常連客、等々の見どころが沢山あり……。
しかし100ページ超えたあたりから、時間が25年以上引き戻されます。飲んだくれで酔っ払っては息子をぶん殴る父を持つ藤太と、飲んだくれで麻雀狂いの父を持つ秋雄が出会い、その縁で神さまにハマる母・麻雀狂いで借金持ちの父親を持つ父を持つほづみと、この3人が仲良くなります。しかしこの3人は決して仲がいいだけではなく、凄惨な記憶が存在して……。というのが本書の内容の一部。


何この絶望。何このどうにもならん感じ。運が悪かった。親に恵まれなかった。で済ませたくないこの暗黒感。
いやねあの、途中でいづみちゃんが「あたしもういやや。私より辛い子は沢山おるけどこんなん耐えられへん」っていうんですけど、ほんっとこれ、耐えたくないっつーか、耐えられへんっつーか。「世の中にはもっとつらいことあるよ」って言えんわ辛すぎるわ!!と思ったり。大阪弁も勝ってバカ父らのえげつなさが洒落にならないぐらいマジでエグかったり、途中で「俺、あいつら殺すから」って言った藤太の心情が、読者にもどうにもこうにも止められんのよ。結局3人全員のその後の人生に暗い影を落とすことになるけど、「おいやめろ」とか思えないのよ。
藤太はその後、中卒で居酒屋を経営しフォークリフトで膝を潰されて狭い居酒屋の店内と市場を往復する人生を送り……その藤太の泥沼の人生を救うのが、いづみの子供のほづみでした。そのほづみちゃんの存在が大きけれど、40の男が「どうにもならん泥沼」から人生を取り戻すラストは圧巻の一言。
「早く救われてくれ!」と読者も泥の中で祈りながら目をそむけたくなりながらも、人の熱量と物語の底知れぬ闇の力、その沼にどっぷりハマったら最後。
この作家のファンになってます。


そういえばですね。主人公の藤太がほづみを連れて警察に行ったとき、自分のことを「俺は中卒で居酒屋」と説明していましたが……ちなみに「雪の鉄樹」の雅雪は、世話をしている遼平少年にこう言う場面がある。「せめて高校は出ろ。俺ですら出た」
……なんでしょう。藤太がこういうシーンは超序盤のあたりなんですが、作品を超えてブーメランを感じてしまったのは。

紺野アスタ「尾木花詩希は褪せたセカイで心霊を視る」

紺野アスタ「尾木花詩希は褪せたセカイで心霊を視る」ダッシュエックス文庫

久佐薙卓馬は廃墟と化したデパートの屋上遊園地で、傷だらけの古いカメラを持った不思議な少女―尾木花詩希と出逢う。卓馬の通う高校で“心霊写真を撮ってる変わった女”と噂される詩希に「屋上遊園地に出るといわれる“観覧車の花子さん”を撮ってほしい」と依頼するのだが、「幽霊なんていない」と取り合ってもらえない。しかし、諦めきれない卓馬は写真部を訪ね、詩希を捜そうとするのだが、彼女がいるのは“心霊写真部”だと教えられて…。卓馬が逢いたいと願う“観覧車の花子さん”を、詩希は写すことができるのか―。少年の想いが少女の傷を癒す、優しく切ない青春譚。

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この小説を読んで、一番残ったのが下の二つの言葉。
「私はキレイの欠片を映したい」
「写真は嘘つきだ。けど、どうしようもなく正直者でもある」
……なんという写真愛に満ち溢れた言葉!! というこの二文字だけでもくらっと来ました。写真を題材にしたちょいと苦めの青春譚。ちょいとミステリ風味あり。風味なのは少年少女の青春譚に重きが置かれているからかな、と思ったけれど、写真が主役なのでこれはこれ。むしろ、風味であるから主役である写真の邪魔をしていないバランスが凄く好きだ。意外に変……に見せかけて変に見られることを気にしているカメラ少女の詩希が可愛かったり意外に誠実……のように見せかけて割と自分の都合で詩希を振り回している卓馬とのやり取りが、ちぐはぐでかわいらしく、なんというかほろ苦い。その苦さを残しつつ、少しずつ、少しずつ変わっていく女の子を見るのは本当に至上の喜びです。
意外に最近のラノベでは少ないのかなぁ、こういう青春もの。ビターな青春ものが好きな人と、野村美月の「文学少女」シリーズが好きな方にはぜひともお勧めしたい。

紅玉いづき「ブランコ乗りのサン=テグジュペリ」

紅玉いづき「ブランコ乗りのサン=デグジュペリ」角川文庫

20世紀末に突如都市部を襲った天災から数十年後、震災復興のため首都湾岸地域に誘致された大規模なカジノ特区に、客寄せで作られたサーカス団。花形である演目を任されるのは、曲芸学校をトップで卒業したエリートのみ。あまたの少女達の憧れと挫折の果てに、選ばれた人間だけで舞台へと躍り出る、少女サーカス。天才ブランコ乗りである双子の姉・涙海の身代わりに舞台に立つ少女、愛涙。周囲からの嫉妬と羨望、そして重圧の渦に囚われる彼女を、一人の男が変える。「わたし達は、花の命。今だけを、美しくあればいい」。

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ここ久しぶりに読書の日々を送っている。しかし「汚職刑事が笑いながら拷問する」→「姫騎士を捕まえていじめて屈服させてハートフルスパンキング」→「うふふと笑いながら「野菜/ケツ/突っ込む」を連呼する天才美少年」ときて紅玉いづきさんの「ブランコ乗り」を読み……読了後のまずの感想は、まるで自分がまっとうな読書をしているのではないかという奇妙な感覚を覚える、でした。なぜ私はこんな美しい装丁の美しい少女たちの物語を読んでいるのか。それは買ってしまったからである。
ついでに言っておくといやあ、割と「札幌アンダーソング」はオブラートに包み込めていませんことよ変態性を。

物語は「ブランコ乗り」の8代目サン=テグジュペリの片岡涙海が練習中に大けがをしたところから始まります。涙海は「怪我をした自分の代わりに舞台に立ってほしい」と双子の妹の愛涙に懇願します。そこから一人の男と出会ったところで、姉妹の運命が急速に変わっていきます。
この二人の運命を軸に、同じように舞台に立つ少女たちのが受ける重圧・嫉妬、舞台への恐怖や決意等が潔く描かれていきます。カジノでの陰謀と舞台に立つものの重圧、それによって受ける嫉妬、少女サーカスの団長は何を考えているのか。歌姫のアンデルセンは「妹の方が才能はある」、「でも舞台に立つのは姉だ」といい、姉は「妹の方が才能がある。そんなのはずっとわかっていた」と嘆く。
さて、病室で苦悩する姉と舞台に恐怖を覚える妹の運命は。

「カジノ特区に客寄せで作られた少女サーカス」「そこでは曲芸学校を卒業したエリートの少女が」「文豪の名前を借りて舞台に立つ」という設定ですが、まずカジノ特区というところが健全ではなく、その舞台もまたしかりなような気がしますが、そこを「少女たちが目指す最高にして至上の舞台」にきちんと見せているのは紅玉さんの描く少女のしたたかさと美しさ、そして文章の品のよさでしょう。この曲芸学校が何とも言えずにズカっぽいのがいいですね。(ヅカの学校も2年生だった筈)
この物語に出てくる女の子って、深く悩んでいても決断し、強くなる時に美しくなるというか、その瞬間がどうしようもなく潔く、刹那的で美しいです。刹那的なのは少女たちの特権ですからね!
だからこの最後、姉の方の、本当の8代目サン=テグジュペリが選んだ行動に「いやいや、よく考えれ」と思う大人はいるとは思うし、私はそれを一瞬考える程度には大人になってしまった。しかし「剱山にしか咲けない花はあるのだ」という作中の言葉の通り、一瞬であることが永遠の美へと昇華されるからそれでいいのです。
これからの姉の、8代目サン=テグジュペリに幸あれ。妹にも幸あれ。

小路幸也「札幌アンダーソング」

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北海道は札幌の雪の中で全裸死体が見つかった。若手刑事の仲野久ことキュウは、無駄にイイ男の先輩・根来と捜査に乗り出すが、その死因はあまりにも変態的なもので、2人は「変態の専門家」に協力を仰ぐことに。その人物とは美貌の天才少年・志村春。彼は4代前までの先祖の記憶と知識を持ち、あらゆる真実を導き出せるというのだ。春は変態死体に隠されたメッセージを解くが!?平凡刑事と天才探偵の奇妙な事件簿、開幕! (「BOOK」データベースより)

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作者の小路幸也さんが、北大路公子大先生の「苦手図鑑」の解説をなさっていた+「天才美少年で変態の専門家」という単語で二つ返事のように購入。「出会ったその瞬間にピンときて購入を決める本」「その時に買わなかったけどむずむずと自分の中で残っていた本」というのは私にとってアタリで(今までそれで当たった本は割と多い。アフリカン・ゲーム・カートリッジズもそうだったし、月桃夜、おいしいベランダもそうだった)、今回は後者でした。
で、この本。

変態死体を通して天才二人が間接的にそして挑発的に会話する、もちろん死体が上がるので何かしらの事件性がありそれを二人の刑事が調べるのですが、緊張感があるようなないような。ミステリというよりも「天才美少年がアドバイザー的に事件にかかわっていき、それを解決すべき二人の刑事や美少年の周りの人間があらゆる面でカヴァーする」もので、ストーリーはディープでブラックなネタが多いわりに主人公のキュウちゃんの語り口がほんわりしているので、変態性はあってもそのほわっと感で緩和されている印象があります。
まぁ、「刑事のわりにキュウちゃんの感性が普通」というので語り口がゆるふわな感じは納得できますが、春くんは「4代前の記憶を持ち」「札幌の裏の歴史に通じている」「あらゆる五感が発達している」というハイスペック天才美少年。そしてこの「天才美少年にして変態の専門家」なんですが、この子がとても恐ろし無邪気可愛い。設定盛り過ぎなんでは、と思うんですが、それを差し引いてもカワイイ。こたつでごろごろしてたり「僕は友達なんて必要ないんだよ」と言いながら、「自分は普通じゃない」ことを自覚しつつ家族のことをめっちゃ大事にしていたり。
キュウちゃんの普通な語り口と意外にニュートラルな春くんが、変態事件をライトゆるふわミステリーにしているのかもしれません。

とりあえず1)見た目中坊な美少年(19歳)、2)甘えん坊気質あり、3)女物の服が似合う、4)あらゆる知識を持ち合わせ、4代前までの祖先の記憶を持つ少年が、「うふふ」と無邪気に笑いながら猟奇殺人を眺め見て、「野菜/ケツ/突っ込む」を連呼している姿は、たまらない。
そんな美少年が「野菜/ケツ/突っ込む」を連呼しているのを見たい人には一見の価値はあります。

意外にあたりだったので続編も読みたい。とにかく春くんが超カワイイので、設定もり過ぎでも一巻が「続きます」みたいな感じに中途半端に終わっても許す(苦笑)。

深見真「姫騎士征服戦争」

深見真「姫騎士征服戦争」富士見ファンタジア文庫

魔族の末裔が支配する帝国で「祖魔の姫騎士」と呼ばれるルアナには野望があった。それは、敵国の美しい姫騎士を捕らえ、いじめ、屈服させること。そんな彼女に従うのは、目つきは悪いが彼女に忠実な従騎士・ベニー、変態アサシン・カナタ、インテリオークのイアン軍曹。くせ者揃いの部下たちに支えられ、破竹の勢いで姫騎士を堕としていくルアナ軍団の行く末は―この戦に正義も大義もない。ただあるのは、欲望のみ!姫騎士の姫騎士による姫騎士征服ファンタジーが、今ここに開戦!
ファンタジア文庫の紹介文より)

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最近の読書はほぼ積読で買ってはため買っては溜めを繰り返していたので、積読していた本をとりあえず読む。再び深見真先生。サイコパスの劇場版の直前に発売されたものです。

………姫騎士これくしょんって艦これじゃねーか!!(当時読んだ人間がしたであろう突っ込みを今更してみる)

お話としては「動力鎧で戦う姫騎士(主人公ルアナ)がやっぱり姫騎士をとらえていじめて屈服させてこれくしょんにする。そのために周りのスタッフがあれこれ頑張る」というものです。ざっくり書きましたが嘘は書いていない。
お話のメインとなるのが「姫騎士をとらえていじめて屈服させ」のところなんですが、この「とらえて以下略」の部分が地下室で微エロ微拷問。割と直球にエロいことがあります。どんなことがあるかと思ったら「祖国と家に捨てられた姫騎士をくすぐり攻めの拷問で神経をイカれさせる」「姉妹のこじれすぎて絡まった糸を優しくときほぐすハートフル拷問」などがあります。嘘は書いてない。

うん。この本は、愛だね。

何でしょうかこのハートフル拷問は。 深見先生、狙ってやったのでしょうか。
「ちょっとかわいいアイアンメイデン」の1話で、「拷問に第三者はいない。される側かする側か」と言ってますが、この本はまさしく「屈服する側の人間」と「される側の人間」がメインです。そして、「拷問をする」側のルアナには(姫騎士を屈服させてこれくしょんにしたいという欲望しかありませんがその欲望がもうびんびんにありつつも)愛があります。
屈服する人間というのは愛がなくてはいけません。屈服される人間は支配される喜びを感じる種類の人間ですが、屈服する人間からの愛がなくてはその喜びを感じることがない……のではないかと思います。その幸せを感じちゃっているのがマリカやアナスイなんですよねー。
あと「とりあえずみんな楽しそうではある」に、この家とルアナのやっていることは異常なんだけどみんな楽しそうだからいいじゃない!というざっくり幸せで纏めちゃった感が雑でいいです。

まあでもこれ、「姫騎士ハーレムでウハウハしている姫騎士」の物語……なんですが、「主の姫騎士のために姫騎士ハーレムをつくるのに頑張っている最強の従者」が実は主人公だったのでは……と思ったり。お話としてはかなりアンバランスなんですよね。やっぱりベニーが最強すぎて浮いている感が否めないし、ベニーの最強さ加減がべつの話になっちゃってるなぁというか、……ベニーが戦い始めたら、怪我もあったけどルアナがフェードアウトしてしまったのが悔しい。もっと戦闘シーンでルアナの活躍が見たかったなぁ。
そこはルアナが戦ってでしょ!!!

でもまぁ、こんな深見真作品もたまにはいいものです。だってなんといっても、拷問する側もされる側もちょっと楽しそうだもんね!!
ゴルゴダ」「ブラッドバス」「ライフルバード」「ヴァイス」などのハードな深見真ではなく、ライトエロライト拷問全体的にライトタッチな深見真作品。深見先生の作品の、血と硝煙の匂いを嗅ぎすぎたらこちらにこよう。

深見真「ヴァイス 麻布警察署刑事課潜入捜査」

深見真「ヴァイス 麻布警察署刑事課潜入捜査」角川文庫

麻布警察署刑事課二係は、管轄内の重要犯罪を隠蔽することを目的に組織された。トップアイドルの覚醒剤疑惑、大物政治家の賄賂…。手段は問わない。二係のエース、仙石は誰よりもスマートに残虐に、犯罪を揉み消す。そんな仙石の行動を見張るため、細川巡査部長は、仙石の部下として、二係内で潜入捜査を始める。極限の騙し合いの勝者はどちらか。“悪を以って悪を制す”汚職警官を描いた本格警察小説。

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祝!深見真、小説に帰還!!(だと勝手に思っている)
最近の深見真の仕事といえば漫画原作が多く、最近の小説は「サイコパス」が多かったし、オリジナルの小説はおそらく2014年に発表された「姫騎士征服戦争」「開門銃の外交官と、竜の国の大使館」以来じゃなかろうか。深見先生もブログで「久しぶりにサイコパス以外の小説書いた」と言っておりましたし。
久しぶりに発表したこの「ヴァイス」は警察もの。麻布、六本木を舞台に汚職警官・仙石重一が下半身のスキャンダルをもみ消したり犯人を拷問したり正義のヒーローのように颯爽と現れたり上司を潰したりのちょう大活躍するという内容です。嘘はついていない。うん。なんつったってこの小説はのっけから、集団系アイドルグループのメンバーが、ヤリまくって覚醒剤キメて彼氏をぶっ殺してその事実を主人公の汚職警官にもみ消してもらいましたという、ハイブリットなイヤガラセを書いてますよ!これぞ深見真!!(爆笑)
その汚職警官を監察するのが、内務監査として麻布警察署刑事二係に配属された細川瑠花。二係の仕事をこなしつつ、内務監査として仙石重一を、黒いところがないかぼろを出していないかと監視します。こうしてこの小説は「監視される」汚職警官と、「監視する」内務監査官のコンビという、少し変わったバディものになったわけです。
この「監視する」「監視される」という構図は「シビュラシステム」と「シビュラ支配下の人間」、また「(クリアカラーの監視官に)監視される執行官」「(潜在犯である執行官を)監視する監視官」という構図にも見えるので、この小説は深見先生がサイコパスの共同脚本を経てかけたものなのかな、とも想像しております。あかねちゃんというキャラクターを経て、「細川瑠花」がかけたのではないかという想像。
この物語は「仙石の物語」というよりは、「監視しながらも汚職の沼に足をからめとられ、その底であがきながら成長する女刑事の物語」にもなるような気がします。
物語のなかで、彼女は刑事としてキャラの中では未熟です。その未熟さを露呈しつつ、物語の後半に家族を人質に取られ、そこから人間的に変わらざるを得なくなります。「ああそうだ、こいつを殺すんだった」「人類の数パーセントは人を殺しても何も思わないキラーエリートだ。細川ももしかするとその数パーセントに入るのかもしれない」。その結果として、内務監査を果たしつつも仙石の「本当の仲間」になることになるのです。
その彼女がこれから、どう、刑事として成長していくのか。
もっと深い沼につかるか、それとも沼にからめとられつつ、監視役としての役目を全うするのか。

文庫オリジナルらしいですが、続編がぜひ読みたい。仙石の行動を見つつ、警官として成長していくであろう「細川瑠花」の物語を、もう少し読みたいと思う。
オネシャス! 深見先生!!!