井上祐美子「海東青 摂政王ドルゴン」


井上祐美子「海東青 摂政王ドルゴン」/中公文庫

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太祖ホンタイジに仕え、その没後は摂政として幼い世祖を補佐し、清の基礎を築いた「聡明王」ドルゴン。満州の長ヌルハチの子として八旗を束ね、李自成軍を山海関で打ち取り、中華統一を果たした男の胸のうちには、母を殺され、力強く空を翔る鷹に憧れた幼い日の想いがあった。ぬきんでた知性で、時代を支える柱となった知将の生涯を描く。

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最近、BSで中国ドラマが放送されている。それも昔のではなくて、現在の中国で人気の出たドラマだ。その皮きりとなったのが12年に放送された「宮廷女官ジャクギ」で、それ以後も「二人の王女」「宮廷の諍い女」「後宮の涙」「蘭凌王」「項羽と劉邦」「宮廷の泪、山河の恋」が放送された。その中で最近放送された「宮廷の泪、山河の恋」は、時代が丁度、「海東青」とかぶっており、当然のことながら登場人物も大部分かぶっている。
本の内容に入る前に「宮廷の泪、山河の恋」についての内容に触れる。
物語の舞台は明末期で後金の大ハン、ヌルハチの時代。ヌルハチは中華統一を成し得ぬまま物語の序盤で亡くなる。ヌルハチの最期を看取ったのは、モンゴルのホルチン部の少女ユアル(主人公)だけで、彼女にハンの後継についてを話していた。彼の没後の後継者はホンタイジ(第4皇子)かドルゴン(第14皇子)が有力だったが、彼女の証言によりホンタイジがハンを継承することになる。
ユアルは密かにホンタイジを慕っていた。そんな時、「ユアルは天下の母になる」というお告げがあったのを知ったホンタイジは、ユアルを側室に迎えることにする。ユアルに想いを寄せていたドルゴンは、いつかホンタイジを超えることを天に向かって誓う。
その一方、ホンタイジはユアルを側室に迎えていたが、海藍珠という少女が気になっていた。海蘭珠はユアルの異母姉だが、ユアルの母に使用人扱いされて育った。そんな彼女には恋人がいて、その恋人をユアルの母の策略により、戦地に送られてしまう。その後、思わぬ形で再開するも恋人は死んでしまい、さらに実母をユアルの母の手によって殺されてしまう。海藍珠は恋人と母の復讐のためホンタイジに近づいて側室となる。
大好きな姉が最愛の人の側室になったことにショックを受けるユアルだったが、これが長い後宮での戦いの始まりに過ぎなかった……とこんな感じ。

さて。このままだと「宮廷の泪、山河の恋」のドラマの感想になってしまうので。井上祐美子の傑作伝奇小説「海東青 摂政王ドルゴン」についての感想を書きたいと思う。
タイトルにもある通り、この小説の主人公はヌルハチの第14皇子のドルゴン。物語のはじめではドルゴンは15歳の少年で、太祖ホンタイジとは20歳年が離れている。ものがたりの序盤でヌルハチは68歳で亡くなり、ドルゴンの母は殉死を求められた。父母が死に、15歳の少年はホンタイジの側近となる。
このホンタイジの側近になる1話がなんとも魅力的だった。最初のドルゴンは15歳で、力もなければ立場も薄い少年で、年齢を理由にハンの候補から除外されていた。もし自分が少年ではなくおとなで、実力も立場もあったのなら、母も守れたのではないか。自分で運命さえ決められない少年は、草原で空を駆け抜ける鷹に憧れる。自らの保身のためでもあり、そして野心を隠すために。
物語中、鷹は重要な3つの所に現れる。ひとつは一章の少年時代。そして、後の二場面は、ひとつはドルゴンのみならず清という国にとってのターニングポイントとして現れ、もうひとつは、ドルゴン自身にあることが起こった時に現れる。いずれも、ドルゴンという人物の運命を決めた瞬間に現れた。
この物語でドルゴンは、常に神経を研ぎ澄ませ、苦悩の中にあった人物だった。ホンタイジ存命中では、ホンタイジの発言や行動を吟味し、常に自分の出来る最上のことを考え、その没後の摂政になった後では周囲の嫉妬や足かせと戦わなくてはならなくなった。
作中で「私は周公旦としてきた」と、ドルゴンが言うところがある。山海関の闘いが終わり、北京に入った時の言葉だ。周公旦は古代周王朝で、幼くして皇帝になった成王の摂政だった。古代の摂政と皇帝の関係を、ドルゴンと順治帝の関係となぞらえたのだ。実際に周公旦とドルゴン、そして成王と順治帝はよく似ている。ドルゴンも周公旦も2人の皇帝に使えた政治家で、同時に2人の皇帝との血縁者であった。成王も順治帝も、国家開闢の皇帝が早くに亡くなってしまい幼くして皇帝についた、という点。
そしてドルゴンと周公旦は、幼帝を補佐した聡明な人物であったという点も似ている。
ここでドルゴンの話に戻す。彼は何かを成し遂げる力を持っていながらも、ホンタイジ順治帝のような皇帝にはなれなかった。運命の一言で片づけてしまえそうだが、その事実は、この物語を読む限りでは清という国にとっても幸運だったのではないかと私は感じた。それは、ドルゴン自身が、その夢を手にするよりも、それを手にすることを夢見ている頃の方が幸せだったと感じているからだ。
野心を持っていても権力には不向きな人間もいる。能力があっても、一番の表に出てこられない人間もいる。だが、何かを成し遂げぬまま生涯を終えるには惜し過ぎる。結果としてホンタイジの時代にはホンタイジからは一番に信頼され、第一の臣下になりホンタイジと共に国づくりに励む。亡き後は上記で書いた通り、順治帝の摂政として国家としての清の基礎を築いていく。夢と理想を造り上げる人間は、その今を生きている時が、一番必死で、自らが成し遂げている「実感」というものを感じていたのではないだろうか。
彼はホンタイジ順治帝に尽くし、清の基礎を築いた。だから激動の時代を生きた彼の最期の言葉は、私は少なくとも、他者に尽くした彼の人生の全てが報われたと読者に思わせるのだと思った。


まとまりのない感想になってしまいましたが、これにて終わりで。
もし「宮廷の泪、山河の恋」を視聴された方がいらっしゃったら、合わせてこの「海東青 摂政王ドルゴン」を読まれるとよろしいと思われます。ドルゴンという人物の深淵を覗けますし、ホンタイジがマトモですので(苦笑、だって「宮廷の泪」でのホンタイジはマジで見ていて苛々させられたので!)。なによりも、物語のかぶり部分が多々散見されるので(例:ドルゴンが荘妃ことユアルを気になっていた、等々)、馴染みのある名前がかなり出てくるのでその辺りの比較も楽しかったです。ドルゴン役のハン・ドンは宮廷女官ジャクギにも出たイケメン俳優なので是非に。

………とこの、「摂政王」ドルゴンを描いた作品ですが、現在中公文庫では絶版になっており、中古を漁るか、Kindleで買うかしか方法がありません。ブックオフを漁ってなかったら、アマゾンKindleをお勧めしておきます。