遠田潤子「アンチェルの蝶」

アンチェルの蝶」遠田潤子/光文社文庫

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大阪の港町で居酒屋を経営する藤太の元へ、中学の同級生・秋雄が少女ほづみを連れてきた。奇妙な共同生活の中で次第に心を通わせる二人だったが、藤太には、ほづみの母親・いづみに関する二十五年前の陰惨な記憶があった。少女の来訪をきっかけに、過去と現在の哀しい「真実」が明らかにされていく―。絶望と希望の間で懸命に生きる人間を描く、感動の群像劇。

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先に読んだ月桃夜、雪の鉄樹の2冊とも素晴らしく、他も読みたかったのですが探せどもなかったのでアマゾンで購入。月桃夜のフィエクサが妹に恋い焦がれる兄、雪の鉄樹の雅雪がたらしの家で生まれ育った愚直な庭師で、さてこの物語はと……。最初の30ページだと、いきなりズブロッカを一本開けて飛ばしてくれるアル中予備軍……かと思ったら、

うわあ。うわああ。うわああああ。


いやいや、この方の小説、沼だ。


序盤は説明文の通り、中学の同級生・秋雄が藤太のもとにほづみという女の子と連れてきて「暫く預かってほしい」と言って消えていきます。戸惑い、不器用ながらもほづみと藤太は心を通わせていくが、その間にも、1)秋雄のマンションが全燃、本人行方不明、2)ほづみの父と名乗る男が現れる(こいつが後後のキーパーソンになる)、3)藤太が酔っ払ってグダグダ。ほづみに八つ当たりしては泣かせる→謝る、の無限ループ、4)意外に優しい常連客、等々の見どころが沢山あり……。
しかし100ページ超えたあたりから、時間が25年以上引き戻されます。飲んだくれで酔っ払っては息子をぶん殴る父を持つ藤太と、飲んだくれで麻雀狂いの父を持つ秋雄が出会い、その縁で神さまにハマる母・麻雀狂いで借金持ちの父親を持つ父を持つほづみと、この3人が仲良くなります。しかしこの3人は決して仲がいいだけではなく、凄惨な記憶が存在して……。というのが本書の内容の一部。


何この絶望。何このどうにもならん感じ。運が悪かった。親に恵まれなかった。で済ませたくないこの暗黒感。
いやねあの、途中でいづみちゃんが「あたしもういやや。私より辛い子は沢山おるけどこんなん耐えられへん」っていうんですけど、ほんっとこれ、耐えたくないっつーか、耐えられへんっつーか。「世の中にはもっとつらいことあるよ」って言えんわ辛すぎるわ!!と思ったり。大阪弁も勝ってバカ父らのえげつなさが洒落にならないぐらいマジでエグかったり、途中で「俺、あいつら殺すから」って言った藤太の心情が、読者にもどうにもこうにも止められんのよ。結局3人全員のその後の人生に暗い影を落とすことになるけど、「おいやめろ」とか思えないのよ。
藤太はその後、中卒で居酒屋を経営しフォークリフトで膝を潰されて狭い居酒屋の店内と市場を往復する人生を送り……その藤太の泥沼の人生を救うのが、いづみの子供のほづみでした。そのほづみちゃんの存在が大きけれど、40の男が「どうにもならん泥沼」から人生を取り戻すラストは圧巻の一言。
「早く救われてくれ!」と読者も泥の中で祈りながら目をそむけたくなりながらも、人の熱量と物語の底知れぬ闇の力、その沼にどっぷりハマったら最後。
この作家のファンになってます。


そういえばですね。主人公の藤太がほづみを連れて警察に行ったとき、自分のことを「俺は中卒で居酒屋」と説明していましたが……ちなみに「雪の鉄樹」の雅雪は、世話をしている遼平少年にこう言う場面がある。「せめて高校は出ろ。俺ですら出た」
……なんでしょう。藤太がこういうシーンは超序盤のあたりなんですが、作品を超えてブーメランを感じてしまったのは。