「墨」に「攻める」で「墨攻」

最近読み終わった本
酒見賢一墨攻


中国に諸子百家というものがあります。儒家道家陰陽家、農家、法家エトセトラエトセトラ。いずれも春秋戦国の時にできてきたものです。
その中に「墨家」というものがあります。「墨家」の開祖である墨子非攻、兼愛などを問いた人です。平和主義者でいいね。
しかし、墨子及び墨家はあまり中国で研究が進められていないようです。儒家道家などと比べてかなり扱いが狭いです。そもそも墨子が認められたのが最近のことなのです。今パソコンで「ぼくか」と打っていても一発で出ないのが認められていない証拠です。
最近になって研究が進められているため、墨子に関する漢文はクロサキのガッコの国語のセンセ曰く「チョースーパーウルトラハイ」なわけである。約もされていないわけである。
何故今クロサキがこんな話をしているかというと、研究会で「墨子の漢文がやりたい」とセンセに言ったら「かなりハイだよ?難しいよ?大体日本語訳が進められてないよ?」
友人(グループの)にも言ってみたら「一人でやれ」と言われました。
しかも、クロサキが「墨子をやりたい」と言い出したのも上の小説に興味を持って読んでいたからである。


明日の日記に続く。