「墨」に「守る」で墨守。

前回の日記、めんどくなったので唐突に終了した感がある。否、そういうわけではない。断じで。風呂入った後パソコンに触るのがめんどくなっただけである。
どちらにせよあまり変わりない事実。


前回の続き。
そんなわけで酒見賢一の「墨攻」で微妙に中国関係に興味を持ち始めたクロサキ
墨攻」及び酒見賢一のすごいところは「まるで史実の話のようだ」という感覚をに持たせてし合うことだとクロサキは思います。「後宮小説」然り。
ぶっちゃけ言うと「後宮小説」の世界は史実にあるものだと思っていました。バカです。
この「墨攻」も最後のあとがきで作者が「この物語は歴史小説ではない。架空の話である」というような文を読まない限り、現実にこのようなことがあったのだと思っていました。大バカです。


この話に出てくる「墨子教団」というのは事実あったらしいです。中国をはじめて統一した秦の始皇帝諸子百家で一番有名である儒家の弾圧はしたが、墨家に対してはしなかったらしい。というよりも墨子教団というものは始皇帝の頃に忽然と姿を消したからだそうです。
墨攻」では、主人公・革離が今まさに攻められんとする小さな城を二万の敵軍から守る様子が描かれています。故事成語である「墨守」がそうです。
でも、守るためには戦わなければなりません。そうすると墨子のといた非攻とむじゅんしちゃうんじゃないの?と思う方は今すぐ本屋さんに行って「墨攻」を買ってきましょう。
というわけで、「墨攻」の感想は一言「面白かった」です。


何が書きたいのかわからなくなったので唐突に終了。
久しぶりにアカデミックなことを書こうとして見事に失敗している様子がまるわかりです。泣き。