顔回子淵の謎

今更かなり驚いているんですが、この日記、結構知人が見ている。なんだろうこの日記、この日記読んでても暇つぶしにしかならんよ。寧ろ暇つぶしにもならんよ。ホントに。


あ、今日まっくんの公式に行ったら、ニューアルバムの正式発表がありました。「God Speed」2月24日発売だそうですね。ほ……欲しい!!あ、でも最近欲しいCDがありすぎる。本は未読がたまりにたまってるからまだ買わなくってもいいんですけどね。「陋巷に在り」の三巻が読みたいところですが。これから顔回がどう出るかが楽しみだ。


中国つながりというか顔回つながりですが、「漢文必携」という参考書だと顔回が死んだのが前490年になってるんですが、国語便覧だと死んだのが前482年になってるんですよ。この8年の違いはいったいなんですか。どっちを信頼したらいいんですか。まぁ、入試とかで「一杯の飯、一杯の水で陋巷暮らしをした好学の青年、後に亜聖と呼ばれることになる孔子最愛の弟子、顔回子淵の死んだ年を書け」っていう問題なんて出ないと思うから別にいいんでしょうけど。なんか気になる。つうかこんなことを試験に出す大学があったら、ある意味笑うな。どんだけマニアックなんだよ。その前に中国のおおざっぱな年表に顔回の名前があったことのほうが疑問ですよ。
いずれにせよ、早死にということには変わりはないのですけどね。子路よりも早いし、もしかしたら死んだのが父親の顔路よりも早いかも知れない。そんなことない?
ふと、顔回が死んだのって、餓死じゃないだろうな? って思ってしまいましたが、これこそそんなことはないか。

また中国の三聖、三人の聖人は、孔子老子、それとあと一人は「顔子」と書いてあった。顔子、というのは顔回の事だろうか。
私は中国の事は無知に等しいのですが、今まで私が知っている顔回子淵についてのエピソード及び知識といえば(陋巷に在り除く)、好学であり賢かったことと、早死にで孔子を嘆かせたことぐらいだ。だけど三聖を見た瞬間に、「何故!?」と疑問に思った。彼は早死にでも賢くても好学であっても、孔子の一弟子じゃないのか。なのに何故三聖のうちの一人に入るのだろうか。
でも、後に顔子」は釈迦と交代しますからね。しかしここでまた疑問が生じる。釈迦って、生まれはインドだろ!!?なんで中国の三聖にはいるっちゅーねん。世界三聖に入るのは全く疑問に感じませんがね。


……私は一体何を書いているのだろう。まっくん陋巷に在り顔回→中国三聖まで見事にトリップした。そんな脳内がすばらしい。しかしここでモロバレなのは、「頑張ってこんな頭よさげな事を書いても、たいした内容ではない」ということである。
もう寝よう。あーHIROセンスマンセイ。