陋巷に在り 徒の巻、妨の巻

久しく「陋巷に在り」の感想を書いていなかった。この日記を読んでいる方(少ないだろうが)で「陋巷に在り」というのがどんなもんかわからない人がいるの思うので、説明する。
陋巷に在り」というのは「小説新潮」に11年に渡って連載された酒見賢一の小説である。全13巻ある。中身は一言でいうと「サイキック孔子伝」です。さらに付け足して言うと、古代中国を舞台にして呪術戦が繰り広げられたりします。さらにさらに言ってしまうと主人公は孔子ではなく、弟子の顔回子淵という人物である。もしかしたらクロサキは別に顔回とは親しくないので、顔回、と書くよりも、子淵、と書いたほうが良いのかもしれない。しかしここはクロサキ自身顔回が好きなのと、尊敬しているということで、敬意を表して顔回と書くことにする。
説明はもういいとして、4巻5巻の感想でも書こうと思います。


4巻の文庫オビがすごいです「美少女に襲う鏡の魔力!!」
4巻のしょっぱな読んでて、「ああ、やっぱりこうくるか子蓉」と真っ先に思いました。しかしここでの見ものだったのは「顔路パパに微妙にペースを崩されている子蓉」です。あのパパ割とすごいんだよなぁ。
あんまり「こうくるか」の予想が当たっても、あまり嬉しくないというか、簱がピンチになるだけだというか。さすがの顔路パパも気づかないというか。女のジェラシーというのは実に怖いもんだ。
さらに穆が死んでから抜け殻になってる五六が簱のお守を引き受けるとか、そこの流れがよかった。五六って男版ツンデレですか?
後、この巻は大長老がいかに年取ろうと超越した存在であろうと、人間らしさというのは取れないということを実感させられた。少正卯を殺す礼を、誰が止めようと大長老は止まらなかったことから、それだけ穆が大切で、それだけその穆を殺した「少正卯」という人間を憎んでいた。大長老にしては、と思う気持ちと、この人も聖人ではなく人間という一固体なんだと思った。
でも、わんわんに襲われてぼろぼろになった少正卯を見て「大長老は穏やかながらすごいことをなさる」と思った。さすがビック長老。そして少正卯に対して「うっわーかわいそーでもいい気味」みたいな感じでした。
そしてまた面白いです。あとがき。


5巻 文庫5巻のオビが面白いです「美少女がカルト教団を結成!!」
とりあえず悪悦に言いたいこと。「妹にはよえーくせにてめーむかつくんだよこのやろう」です。なんかこいつ見てて腹立つわ。こいつと少正卯とどっちがいいって聴かれたら今ならまちがいなく「少正卯」って答えられる自身あるぞ。わんわんに襲われてかわいそうだったしね。
ついでに言うとこの巻、顔回がまるで出てきませんでしたね。主人公なのに……。でもこの巻は顔回よりも、孔子の周辺を巡る人物、悪悦のアホみたいな陰謀、また投獄されるかわいそうな公冶長(子長)さん、孔子を裏切る公伯寮、それを目撃してしまう子長さん、悪化していく孔子と費城の関係、前巻でわんわんに襲われた傷が完治していないでぶっ倒れている少正卯、簱にはやさしい五六、それと同時にどんどん子蓉の術の深みに嵌っていって、さらにはカルト教団を結成してしまう簱……など、いろんな面が楽しめた。とりわけ久しぶりに子長さんがまともに出てきてくれたのには、個人的に大満足。……久しぶりに出てきておいて、また投獄されんのかっていう気持ちはありますけどもね。しかしそこがいいからいいです。


あ、松原真琴の最新刊「しゃべるいきもの」きました。