親愛なるウェンディへ

ミクシで書いた日記を流用してみる。といってもスケートネタは結構時事ネタみたいな感じなので、ミクシでかつてキチガイみたいに長く書いた(しかも二回にわたって書いたww)「DEAR WENDY」という映画について書いてみます。

この「DEAR WENDY」(2005年日本公開)は、かつて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得した、ラース・フォン・トリアー監督が脚本を書いたものです。監督はそのトリアー監督の盟友でもある、デンマークの映画人トーマス・ヴィンダーベア。で、主演が「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベル
しかしワタクシは、借りた時、というか視聴時にそういった基本情報を持ち合わせていませんでした。ある日TSUTAYAをうろうろしていたら、「あ、銃が出てくる作品なのか」と、いつの間にか手に取っていたという表現が正しいのです。しかし、この映画。ワタクシ何故か、妙に好きなのです。
ちなみに手に取った時、パッケージのジェイミーを見た時に、めっちゃくちゃびっくりしたのです。本当に電流が走ったかと思いました。
その時の感想が、コレ。


………あれ?
………フィギュアスケートの、セルゲイ・ヴォロノフ選手に顔がちょうそっくりな俳優がいるけれど、気のせいかな……?


……………ホントに思ったんですよこれ! ホント、見た瞬間、「何このそっくりさん!」ってマジで思ったんですよ! リアルに目ぇごしごしこすりましたもん!!!
で、見始めたら、、

この映画におけるジェイミー・ベル(撮影当時17歳ぐらい)が、マジでヴォロノフにそっくりに見えた。


いや、これ私の眼のフィルターみたいなものなので、他の人が見れば似てない気もしますけれど。でも「似てる!」って思いこむとすんごいそれが気になってしょーがない!!


でもまぁ、この映画が好きな理由に「ジェイミーがヴォロに似ている!」という呪いにも似た暗示にかかったからではありません。
以下、ネタバレを含みながらあらすじを書いてみます。



これが映画の予告編


* * *

主人公のディック(ジェイミー)は「炭鉱で仕事をするのが男の証」というような炭鉱の町で育ったけれども、自分は炭鉱には向かないということで、スーパーで働いてた。そんな中、彼はひとつの美しい銃を発見する。奇しくもその時、職場仲間のスティーヴィーも、武骨でいわくつきの銃を発見していた。ディックは自分の銃のことを「ウェンディ」と名付け、スティーヴィーは「バッド・スティール」と名付け、廃坑でひそかに銃の研究を始めていた。


実は最初の15分ほどで、数年時間が流れている。「ウェンディ」はのちに友人になるスーザンの玩具屋で買い、そのまましばらく段ボールの中に入れていたのだ。タイトルの「ウェンディ」は銃だった。この「ウエンディ」、非常に綺麗な銃なんですよ!!


ひそひそと研究をするディックとスティーヴィー、そこから彼らは「銃による平和主義」を理想に掲げるようになる。 銃は精神的な支えであり、けして他人に向けて撃たない。銃を持つのは自分に自信をつけるためで、銃を持っていながら撃たないことは自分の強さである。そこから炭鉱の町の「落ちこぼれ」集団が集まり、ディックをリーダーとする「銃による平和主義」を唱えるサークル(みたいなもの)・ダンディーズが結成される。


視聴時、「ダンディーズ」という名前のダサさに吹いたwwww


こうして活動をするにつれ、自分自身に自信がついていき、青春を謳歌し始めるダンディーズ。しかしディックはある日、自分の家の家政婦だったクララベルの孫・セバスチャンが殺人を犯してしまい、町の保安官からセバスチャンの観察役を頼まれる。ディックはセバスチャンのことが小さいころからあまり好きではないが、保安官から押し切られる形で観察役を引き受ける。


このセバスチャンがディックは本当に嫌いらしく。冒頭に誕生日プレゼントで数ページ破れている「ドリアン・グレイの肖像」をプレゼントする。イヤガラセ以外のなにものでもないwww 殺人犯であるセバスチャンを、一般人であるディックに観察役にしていいのか?
このセバスチャンの本格登場が、ダンディーズというよりも、ディックとウェンディの関係に軋みを入れ、彼の青春の終わりを告げる。

* * *


ネタバレはこれぐらいにして、クロサキが何でこれが好きなのかと言われたら、ジェイミー・ベル演じるディックの存在です(けして、セルゲイ・ヴォロノフに似ているという呪いにかかったからではない)。ワタクシは彼の存在だけで、星四つつけます!


というのはですね、主人公ディックは非常に感情豊かなんですよ。特に「ウェンディ」にベタ惚れしている時、デレデレ、ではないですけれども、
その部分が顕著に出てたなーという場面は、セバスチャンがディックの愛銃「ウェンディ」を持った瞬間です。ディックは手紙で「君は嬉しそうだった」と書いている。そうしてセバスチャンは、「銃が飽きている。君も」(うろ覚え)といった発言をする。この瞬間に、ディックに芽生えた感情は、戸惑いと嫉妬だっただろうと思う。戸惑いは、「ウェンディを理解している」かのようなセバスチャンの発言と「嬉しそうだった」愛銃・ウェンディ。嫉妬は「嬉しそうだった」ウェンディを手のひらにおいているセバスチャンに対して。愛銃への熱愛とセバスチャンに対する複雑な葛藤。ここに「感情の豊かさ」があると思いました。


ワタクシはこの映画を見た直後に書いた日記で、「一途で頑固で割と考えなしでその癖繊細で、「恋をしている」青年をみたい人にはお勧めしておきます。ジェイミー・ベルの「感情豊か」で若干陰があって、危なっかしい感じのイケメンぶりに……なんて言ったらいいんだろ、メロメロ、ではないな、ハラハラしてください。」と書きました。
そして、そのあとに発見したシネマトピックオンラインさんの紹介ページhttp://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5872ではこんな感じに書かれてました。コピーができないので、打ち込みます。


* * *

ディックを演じるのは、『リトル・ダンサー』のビリー・エリオット役で一躍、国際的な脚光を浴びたジェイミー・ベル。往時の少年らしさは影を潜め、もはや青年と呼ぶに相応しいルックスへと変貌を遂げたジェイミーが、時折覗かせるナイーヴさとひたむきな眼差しは、ディックの一途な人間性を感情豊かに露わにし、魅力たっぷりだ。と同時に、ウェンディに捧げられる熱愛と嫉妬が交錯する葛藤の表情は、女性ファンの母性本能をくすぐるのは間違いないだろう。ひと回り大人の俳優へと成長したジェイミーの熱演を、とくとご高覧あれ。

* * *


えー、、誰ですかこれ書いたの。正しすぎますよ!読んだ瞬間に「ぎくう!」ってなったよ!!完敗です。負けました。だって、自分がまさにその通りになったから!


この映画、ラース・フォン・トリアー独特のアメリカ批判、と見る人もいるかと思います。しかし、何も予備知識もないワタクシが、一番スンナリ見られる観賞法は、「銃社会へのアンチテーゼ」でも「落ちこぼれの青年たちによる群像劇」でもなく、「ひとつの美しいものに恋をした青年の物語」と考える方が結構しっくりくるのです。
何故ならば、この映画は「ディックがウエンディに当てた手紙」を軸にして物語が進められるのです。ディックの手紙の最後は「僕は弾丸が怖い。だけど、君の弾丸なら怖くない。僕は死ぬのならば、君の銃で当たって死にたい」ということで締めくくられている。この文章を読んだだけでも、如何に ウェンディを熱愛しているかどうかがわかりましょう。


しかしねー、この映画、視聴時にめっちゃハラハラして見てたんですよ。「お前落ち付けよ!!」と何回突っ込んだことか(苦笑)。


そんなわけでこの映画、「危ういイケメンを見てハラハラする」というひっじょうに女性向きです。いろんな意味で。でも、最後の銃撃戦はエグい。


で、この最後20分の銃撃戦なんだけど、どうエグいかっていうと、撃った瞬間、弾丸の軌道がどう行くか、などが示されていることと(特にスーザンの間接撃ちの時)、仲間が撃たれていくときに、「弾丸がどう人体をえぐるか」を書き出していること。斬新。だけどかっこいい。


賛否両論別れているみたいだし、全国公開されなかったみたいだから割とマイナーなのかな? でも、面白いし凝っている映画だと思うので、結構誰でも楽しめるんじゃないかなーと思っています。
少なくともクロサキは妙に好きです。(苦笑)


まぁ、クロサキ一回しか見たことないけど。もう一回見てみようかな。