採点競技は「ジャッジを信頼する」ところから始まる。

今週金曜日、フィギュアスケート関係の書籍が出版されます。世界選手権の開催時期とかぶっているのが少し気になりますが、この書籍です。
※なお、アマゾンへのリンクは貼り付けません。


フィギュアスケート 疑惑の高得点』
http://azplanning.cocolog-nifty.com/neko/2013/03/post-eaf2.html
この著者さんは、黒猫さんという、『ときどき黒猫』というブログの管理人様です。フィギュアスケートのブログで検索しても、上位にくるぐらいの有名ブログです。スケートブログを巡回している方は知っている方も多いのでは。
このブログで主に取り上げられている内容は、一言でいえばジャッジと金妍児批判です。動画や静止画で検証し、ヨナがいかに劣っているか、ということを一見理論をつけて言及なさっています。最近は韓国問題にも首をつっこまれておられるようですね。


…………今からワタクシ、ネット人生10年の覚悟をもって、この記事を書こうとしています。正直、他人、それも知り合いでもなんでもない方のブログについて言及するのはとても失礼で、かつ命知らずな行為かもしれません。それもフィギュア関係のブログではとても有名ですし。
批判する方も多いでしょうし、反対意見だって認めます。それも一つの愛の形だとして。


ですが、ここで自分の意見をはっきりとしておくのも大事だと思ったので書いていこうかと思います。


……さて、私のジャッジやフィギュアスケートの見方、というものを一つ書いていきたいと思います。
2010年頃、私も特に金妍児の判定などについて「あのジャッジはおかしい!」「(特に金妍児に関して)これでこの判定はおかしい!」と言っていました。特にそれが顕著に現れたのが、バンクーバー五輪です。結構当時の私は、陰謀論、ジャッジは金もらってる、とか割と本気で信じてました。だから、このブログ様の閲覧期間も、それなりに長いです。バンクーバー直後から見ているので。それは私の過去の記事を見ていただければ幸いです。
では、今の私はどうか、と聞かれたら、私はこう答えます。


そうは思っていません。


全ての判定が、我々ファンの思い通りになるとは限りません。そうならないために、ジャッジがいるのです。
我々ファンは素人です。いくら観戦が長くなろうとも、知識を増やそうとも、ジャッジではない、ただの素人なのです。
もし、我々ファンが「この結果が間違っている。我々が公正な目で見て、我々が示した結果が正しいはずだ」と言っても、ジャッジや選手は「So,What?(それが何?)」という権利があります。なぜならば、ジャッジが示す判定こそが、唯一のルールだから。そのジャッジから評価を得ることが得点につながるから。そして、そのために日々研鑽を積んでいるから。
銀盤カレイドスコープ』のリア・ガーネットの言葉を借りるならば、もしも我々ファンの言葉一つで判定やルールが変わってしまうようなら、それはもうスポーツではなく、低俗な見世物でしょう。ファンの勝手な感動、主観、中途半端な判定技術が採点に入ってはいけないのです。
採点競技を観戦するうえで、我々ファンができる最高のことは「リンクに上がる選手を見守る」ことと最高の演技が見られることを祈ること、そして「ジャッジを信頼する」ことなのだと思っています。
そのジャッジを、我々素人であるファンは軽々しく批判してはならない。
「この判定にこういう疑惑がある」「不透明だ」と思う方は、少なくともそれを忘れているように思います。
私は少なくともジャッジは誠意をもって仕事をしていると信じています。それは決して、「不透明なジャッジから目をそらしている」のではないのです。
判定は、決して筋の通らないことではないでしょう。例えばヨナには3-3、後半リアルルッツ、ストロングエッジ系のスケーティングがある。(また、ループを抜かしているから構成が簡単、と軽々しくは言わないでほしい。大体2A三回やってるのは後退!とかいう人は、それは俺のユリア・セベスチェンを批判しているのと同じだぜ)。


だから私が声を上げて言いたいことは次のことです。
ファンはジャッジや判定においては、完璧なる部外者。疑問を持ってはいけない、とは言いませんが、疑問を検証した先にあるものが正しいとは限らない。
ファンの偏った知識で、その技術ないし判定を検証することは、実はとても恐ろしいことなのではないでしょうか。


もしかしたらこのブログ主様は、ジャッジを信頼している、我々ファンが口をはさむことではない、という私に対して「ジャッジ恭順者」と名付け、こういう姿勢にたいしては「そういう人たちは、フィギュアスケートが今後どうなってもいい」もしくは「本当に愛していないのですね」とおっしゃるかもしれません。
ええそうです。信頼はしています。
ですが、そうして我々ジャッジに口を挟まないファンのことを批判する権利だってないのではないでしょうか。
少なくとも疑惑の判定と称してあらゆる角度から判定を検証し、ジャッジの不透明性を明かそうとすることが「フィギュアスケートへの愛の形」の一つだとしたら、私のように「選手の演技を見守る」「ジャッジを信頼する」ことだって私なりのスケートへの愛の形ですよ。


なぜ判定やヨナの結果について疑問を持っていた私が、180度変わるような意見を持つに至ったのか、ということを言いますと、ジャッジは私が想像している以上にちゃんと仕事をされている、とのことに気が付いたからです。
そのことに気を付けさせてくれたのは、11年モスクワワールドでのアリョーナ・レオノワ選手の演技でした。この時のアリョーナの演技はとても素晴らしかった。そして、いい演技には、それに準じたジャッジがなされる。過去の実績からや出せなかった本来の力が主観によって評価される、のではなく「その時の演技で純粋にでたもの」が正当に評価される。
だから私にとってアリョーナ・レオノワという選手は、特別な選手なのです。


…………まぁここまで書いてしまいましたが、読む前からこんなに大声で言ってはいけませんね。どんなもんが書かれているか見る前に書くのは軽率ですね。ブログに準じた内容らしいんですけれど。
とりあえず書店で見かけたら、信じる人が一人でも少なくなるように一冊回収してこようと思います。


※追記
本文中に話題に出しました「銀盤カレイドスコープ」という作品は、ゼロ世代に人気を博したライトノベルです。マスコミやファンと選手との温度差や、アスリートにとって審判のジャッジングがどういったものなのか、という事がよく書かれています。スケオタから見てもフィギュアの表現が良く出来ていて、ストーリーも文句なしに面白いです。特に最終巻になるにつれて圧巻になっていくので、私が「一冊回収」と表現した件の本よりこっちをお勧めしておきます。
とりあえず1巻2巻をば。


1巻

2巻