私たちの為に流した「贖い」の血である


全日本終わってちょっと経ち、もうすぐ全米だユーロだと始まるのですが、その前にちょっと記事に起こしたいなと思ったことがあるので書いてみたいかと思います。
今季、いろいろ見ていて恐らくベストフリープロて、たくさんある中で一番を選べと言われたら、どっちかって選べない二つがあって。一つは羽生君の「ロミオとジュリエット」、もう一つがアボットの「エクソジェネシス交響曲第3部」です。はーにゃのロミジュリの話は前にしたので、今回はアボットの話をちょっとしたい。


私が知っている限り、アボットは07-08シーズンからGPシリーズに出場していますが、特にフリープロはこのシーズンから全て、はずれがないものを滑っているように思います。これは私にとって、という限定もありますが、でもスケオタ内の評判を聞く限り、悪いことは聞いた事がありません。
そして何が凄いって07−08シーズンから、ほとんど毛色が違ってもいいと思う作品を滑り続けていることです。振り付け師もトムさんについていた頃はディクソンでしたが、カメレンゴになり、ウィルソンになり、今季は佐藤有香コーチとロバルト・カンパネルラと本人との共同作業でプログラムを作ってる。ワルツ、ピアソラ、オルガン、ライフイズビューティフル、そして「エクソジェネシス交響曲」……。
私はアボットから、「滑りの中に昇華されたナチュラルさ」というものを凄く感じる。何というか、「この曲はこの振り付け以外にはありえない」と、見る人間にナチュラルに思わせる力をとっても感じるんです。実際この振り付けから、派手さはないんだけど一挙一動眼が離せなくなってしまう吸引力があると思います。
そういう意味ではとっても稀有な選手です。

んでま、それはともかく、ちょっと書きたいと思ったこと。
ワタクシはスケートを見るのも、スケートを見て妄想するのも、その妄想を文章化させるという行為も好きで、
そんなわけでここから、とくに後半は妄想と主観なので読まれる際は注意してください。

ロステレで見た「エクソジェネシス交響曲」なんですが、ジャンプは決して本調子でもなく、クワドか3Aの転倒したところで手を切ったのか(本人はどこで切ったかわからなかったらしい)、コレオステップで右手を氷についたときに、リンクに赤いものがくっついてて「え!?血!!?」とびっくりしたワタクシ。ロステレは男子フリーの第二グループだけ見られたんだけど、ストリーミングがほぼ紙芝居状態だった。それでもちょっと見てみると、右手がぎくしゃくしているような感じがしてました。
それでコレオステップではっきり怪我がわかったと。最後演技が終わった後、アボットの妙に悲しそうな横顔(本当に彼ほどハの字の眉毛が似合うメリケンも珍しかろうと)のままストリーミングが固まっていたのですが、流血があったんですよね。

ロステレコム杯 ジェレミー・アボットFS「エクソジェネシス交響曲第3部」

プレカンで「あなたのこのプログラムは何を表しているのですか?」という問いに、アボットは「僕はこれを大空へ羽ばたく鳥を表現しています。でも、今回の演技の僕は、打ち落とされた鳥だったでしょう?」と答えてます(意訳入ってますが)。そういわれてみてみると、手の動きのゆったりしたところとか、空を旋回している鳥を連想させたりするなぁと、いまさらながら思ったり。
MUSEのこの曲は、競技用なのでオフボーカルになっていますが、短いですが歌の部分があります。歌詞は、アボットの日本公式サイトから引用させていただきます。ワタクシは今回、何故アボットがこの曲を選んだのかの理由、というものは知りません。だけど、もしかするとこの歌詞があったからこそ、選んだのかな、とも若干感じております。


* * *

Let's start over again
最初からやり直そう


Why can't we start it over again
なぜそれができないんだ


Just let us start it over again
とにかくもう一度やり直させてくれ


And we'll be good
きっと良くなる


This time we'll get it, get it right
今度はやれる、ちゃんとやれる


It's our last chance to forgive ourselves
自分自身を許す最後のチャンスなんだ

* * *


でここからはワタクシの妄想。

私はこの曲、第3部の副題が「あがない」であり、ロステレで氷上に移った血を見た瞬間、
こんな言葉がふっと頭によぎってしまった。


これは私の為に流される、「贖い」の血である。


カトリックのミサはあまり日本ではなじみがないと思うのでちょっと説明いたしますと、ミサの中で重要な出来事の一つに、「聖別」(カトリックでは実態変化)というものがあります。司祭がパンを手にとり「ある言葉」を言うとそのパンが「キリストの体」になり、ぶどう酒をとって「ある言葉」を言うとそのぶどう酒が「キリストの血」になる、という、ミサの中でももっとも重要な一部分です。何故この儀式をやるのか、というと、ミサ自体(感謝の祭儀)の意味があり、イエスではなく「父なる神」に、一回限りの救いの出来事を感謝するという儀式なのです。その「救いの出来事」というのは旧約の民は「出エジプト」、新約の民にとっては「イエスの死と復活」のこと。死と復活を想起もしくは記念する為に、ミサではパンとぶどう酒での聖別が行われる。
この聖別の土台となったのが「最後の晩餐」におけるイエスの言葉。「とって食べなさい。飲みなさい。これはわたしの体である。これは私の血である。これを私の記念として行いなさい」


ようするに、ふっと頭に浮かんだこの言葉っていうのは、もじりなんですよね。


歌詞で言う、「もう一度」「今度」は、きっと「一回限りのチャンス」なんでしょう。もしアボットがこの曲を選んだ理由にこの歌詞があるとすれば、パーフェクトな演技が見られたとき、アマチュアとしての活動を終えた後の、彼の記念碑的なプログラムになっていると思うのです。
このプログラムの完成形を是非みたい。正直、そう思わせるプログラムって少ないんじゃないかなと思う。だけど、だからこそ「完成」を見たときの感動ってのはすさまじいんだと思う。
去年の「ライフ・イズ・ビューティフル」とかもね。是非見たかった。
あ、ミサの話とか出しましたが、全然関係ないです!!!



頑張れ!全米!!