どうして金妍児があれだけ評価されたのか その1 

後で後でと思いながらずっと書いてこなかったことなんですが、世界選手権も1か月以上前に終わり、11−12シーズンも終了したことなので、改めて書いてみようかと思います。羽生君の事が絡んでくるので。
題して、


「どうしてあれだけ金妍児が評価されたのか、そして、ヨナチームが有利に動いた理由は何なのか」


暫く彼女も競技会に出ていないことですし、改めて振り返るにはいいチャンスだと思ったので、書いてみようかと思います。
また、一言言っておきますが、ワタクシはみなさん知ってのとおり、金妍児選手はお世辞にも好きだとは言い難いタイプの選手です。ですが、ワタクシの個人的な感情とスポーツにおける評価というのは全く別のものです。スポーツのジャッジングに観客の意志や感想が入ったとき、それは低俗な見世物へとなり下がります。ジャッジが下す採点こそが、スポーツにおける唯一無二の法律なので。
それは現在の浅田真央選手にも関係ないことではないので、最初に言っておきます。
分割して書きます。今回は第一回。



第1回 チームとしての信頼関係

先ず、バンクーバーシーズンでのヨナちゃんの最大の有利点、というのは、


コーチのブライアン・オーサー
振付師のデヴィッド・ウィルソン、
そしてそこにクライアントとしてトロントに来た選手のヨナちゃん、


理由や噂がどうであれ、選手とコーチと振付師のチームワークがうまく働いていた、ということがまず一点あげられると思います。
同じようなことはチームDiskにも言えるでしょう。選手である高橋大輔、コーチの長光歌子本田武史、振付師のパスカーレ・カメレンゴと宮本賢二

この三者の関係が確かに結ばれているのと結ばれていないのでは、明確な違いがある筈です。

有名な話でステファン・ランビエール選手の逸話があります。ランビエールはスランプに陥った時、長年指導したピーター・グルッターコーチの元を離れました。しかし、スイス国内選手権でグルッターコーチがリンクサイドにいないことに違和感を覚え、彼がいかに自分を支えていたかを知り、コーチを戻したというお話が残っています。国内選手権後「またぼくを指導してくれますか?」とグルッターコーチに電話を入れ、そこで再びグルッターコーチとの二人三脚が始まります。そのシーズン、最後には世界選手権で優勝しました。振付師も恐らくサロメ・ブルナーさんであったはず。

ヨナちゃんの場合ですが、オーサーとは利害の一致、とかが報道されているかもしれませんが、少なくともバンクーバーまでは良好な関係を築いていたのではないでしょうか。

オーサーが指導し、競技でのGOEやコンポーネンツを確かめ、その都度ウィルソンがプログラムのチェックをしていく。ヨナちゃんは常にトロントにいたはずなので(韓国の大学は籍だけ入っている状態だよね。学生という身分としてはどうかと思うけれど、スポーツ選手にはありがちなことなのでまぁ仕方がない)、常にオーサーが指導でき、ウィルソンが修正が出来るという環境にいたという想像は難くないです。

正直なことを言うと、この時点でヨナちゃんは真央ちゃんの上をいっていたのではないでしょうか。チームとしての機能、という点です。
お母様の事がありましたので、ある程度身動きがとれない、ということは仕方がなかったことかもしれません。しかし、バンクーバーシーズンに何があったか、というと、タラソワはロシアにいて、真央ちゃんは中京大でアシスタントコーチのジャンナ・フォレさんと一緒に練習していた、という奇妙な状況。ロシア杯から全日本までの二か月間、そして全日本から四大陸まで。メインコーチがいない、という状況で彼女は練習していました。
それを「コーチ不在で黙々と練習する」「アスリートの意地」と美化するのは簡単なことです。ですが、裏を返せば、3点の事があげられると思います。
1)技術面や基礎面で支えてくれる存在がいない中練習する=自分の中の技術の基盤がぐらつく
2)メインコーチと十分なコンタクトが取れていない=十分な指導が行き届いていない=問題点があっても、それを的確に指摘できる人物がいない
3)要するに、築くべき人間と確固たる信頼関係が築けていない。というか築けられない状態にあった。


全日本前に彼女がスランプに陥ったことが結構ニュースでも取沙汰されていましたが、それも無理からぬ話です。すべてがガタガタになりかねない状態にあったんじゃないかなーと思うのはこれは邪推ですかね。


つづく。